
毎日、少なくとも3パックは納豆を食べています。そう笑顔で話すのは、納豆料理研究家の夏見奈央子さんです。京都・祇園で納豆創作料理店「夏豆」を営んだ経験を経て、現在はレシピ監修や料理教室、講演などを通して、納豆のさまざまな楽しみ方を伝えています。
夏見さんの話しぶりはいつも朗らかで落ち着いていますが、大好きな納豆の話になるとその言葉には確かな熱が宿ります。
「納豆の可能性が広がったらうれしいです。特に、『味が決まらないな』というときに納豆を調味料のように使ってもらいたくて」
ごはんにのせるだけではなく、オムレツにいれたり、ポテトサラダに混ぜたり、ドレッシングにしたり。夏見さんと話していると、冷蔵庫にいつもある一パックが、まだたくさんの可能性を隠し持っているように思えてきます。
そんな夏見さんですが、子どものころは納豆が食卓に並ぶことさえ嫌だったそう。
かつては苦手だった納豆を、なぜ人に伝える仕事に選んだのでしょうか。その始まりは、和歌山の実家で繰り広げられた、母と娘の小さな根比べにありました。
夏見さんが納豆を嫌っていた一番の理由は、味よりも匂い。
「もう、臭かったです。とにかく、食卓に並ぶのさえ嫌でした。匂いからダメだったので、食べてみようとも思えなくて」
納豆をよく食べていたのは弟さんでした。その姿を見ていた夏見さんの母は、ある日、夏見さんのごはんの上に、弟の納豆を一粒だけのせました。
翌日は二粒。その次の日は三粒。一日ごとに一粒ずつ増えていく納豆。
「実は、母自身も納豆が嫌いだったんです。それなのに『体にいいから食べなさい』と。なんて理不尽なんだろうと思っていました(笑)」
どうしても食べたくない夏見さんは、ごはんの中に納豆を埋めていたそうです。いつ口に入ったかわからないようにして、なんとかやり過ごす。納豆が半パックほどに増えるころまでは、「今日も、昨日より増えるんか」と、夕食が憂うつだったといいます。

ところが、ある日。その感覚は突然変わりました。
少しずつ慣れていったわけでも、特別な食べ方をしたわけでもありません。夏見さん自身、何がきっかけだったのかは覚えていないそうです。ただ、昨日まで嫌だった納豆が、ふと、おいしく感じられたのです。
「本当に、急においしくなったんですよね。そうしたら今度は、もっと増やしてほしくなって。弟には『僕の分が減る』と怒られました。それで、ようやく一人一パックずつ食べるようになったんです」
その日を境に、それまでとは別人のように夏見さんは納豆に夢中になります。味噌汁にもハンバーグにも焼きそばにもかけてみる。「これは合う」「これもおいしい」と、食卓に並ぶ料理と納豆の組み合わせを試すようになりました。
振り返れば、それが最初の「納豆料理」だったのかもしれないと、夏見さんはほほ笑みます。
転機が訪れたのは、大学時代。約一年間のアメリカ留学中のときです。
留学先は、南部のアーカンソー州。日本人がほとんどいない地域で、納豆を扱う店も見つかりません。ホストファミリーにも探してもらいましたが、手に入れることはできず、日本の家族から送ってもらうことにしました。

段ボールに大量の納豆。夏見さんは留学後半の寮生活で出会った友人たちにも食べてもらおうと考えました。
韓国、中国、サウジアラビア、コロンビア、アメリカ。さまざまな国や地域から集まった友人たちに振る舞えば、誰か一人くらいは気に入ってくれるかもしれない。ところが、返ってきたのは想像以上に強い拒否反応でした。トイレへ駆け込む人までいて、「おいしい」と言ってくれた人は一人もいなかったといいます。
大好きなものを受け入れてもらえない。その光景を前に、夏見さんが思い出したのは、食卓の納豆を嫌がっていた、かつての自分でした。
「悲しかったというよりは、『そうや、私もこっち側やったな』と嫌いだったころの気持ちがフラッシュバックして。嫌だと思う気持ちもわかる。でも、私は今、このおいしさを知っている。だったら、なんとかして食べてもらえないかなと思ったんです」
納豆をそのまま出すのではなく、料理としておいしく仕立てたらどうだろう。納豆ごはんという一つの食べ方だけでなく、もっと広い可能性を見せられたら、苦手な人にも届くのではないか。
留学先には、試作に使える設備や調味料が十分にありませんでした。そこで夏見さんは、その問いを日本へ持ち帰ります。
「留学に行くと、英語力や国際的な視点を身につけて帰る人が多いと思うんです。でも、私は『納豆の店を出したい』と思って帰ってきました。みんなで留学の成果を発表するときも、『私は納豆を広めようと思いました』と(笑)」
それまでの夏見さんにとって、納豆は自分が好きで食べるもの。アメリカで初めて「納豆のことを人に伝えたい」という気持ちに変わっていきました。
納豆の魅力を広めたい。そのために、納豆のお店をいつか出そう。
そんな夢を抱いた夏見さんは、大学卒業後、まず食品メーカーに就職しました。社会人としての経験を積み、30歳までに店を持つことを目標にしたのです。
スーパーなどへ家庭用商品を提案する営業部門から飲食店向けの営業部門へ異動し、メニュー提案を経験しました。キムチ鍋の素を使った納豆チゲなど、仕事のなかでも、気づけば納豆を絡めた提案が多くなっていたそうです。
「周りからも『夏見さんの提案、納豆が多いよね』と気づかれていましたね。メーカーの立場でしたが、飲食店がどうやって商品を仕入れ、メニューを決めるのかを知ることができて、とてもよかったなと思います」
店で出したい料理、店名、ロゴ、空間のイメージ。思いついたことは「夢ノート」に書きためていたといいます。そのページが増えるにつれ、漠然とした夢は、少しずつ具体的な店の形になっていきました。

そして2020年2月、外国から訪れた人にも日本の思い出として納豆料理を味わってもらいたいと、京都・祇園に「納豆創作料理 夏豆」をオープン。
しかし、その直後に新型コロナウイルスの感染が広がっていきます。4月には休業を余儀なくされ、再開後の祇園は、店の明かりも人影もないゴーストタウンのようでした。
「一人で仕込んで、一人で店に立って、誰も来ないまま終わる。一週間、誰も来ないこともありました。『なんで会社を辞めたんやろ』『タイミング、悪すぎるよな』と涙が出ることもありました」
まだ、店を支えてくれる常連客もいません。それでも毎日仕込み、店を開けました。やがて、偶然店を見つけたライターさんがYahoo!ニュースで記事にしてくれたことをきっかけに、少しずつ人が訪れます。
当初思い描いていた外国人観光客ではなく、店を訪れた多くは日本人でした。そのなかには、納豆好きに連れられてきた人だけでなく、夫婦そろって納豆が苦手なのに、「好きになりたい」と訪ねてきた二人もいました。
どの料理なら食べられそうか。これはどうだろう。夏見さんは、目の前の反応を見ながら、一緒に入口を探しました。
「嫌いな人が来ると、私も燃えるんです。『これは食べられそうですか?』といろいろ試してもらって。帰るときに『こういう食べ方なら食べられるんですね』『家でも少しずつ練習してみます』と言ってもらえることが、本当にうれしかったです」
お客さんから何度も聞いたのが、「感動しました」という言葉。
納豆は、驚きや感動を期待して口にするものではないかもしれません。それだけに、いつもの一パックが、料理によって知らなかった味に変わる。その発見を届けられたことは、夏見さんにとって大きな喜びでした。著書『納豆がもっと好きになる #感動の納豆レシピ』の「感動」は、店を訪れた人たちの言葉から生まれたのだそうです。

夏見さんは出産を経て、「夏豆」はいったん店じまいをしました。現在は、雑誌などのレシピ監修、料理教室、講演、テレビ番組での審査など、形を変えながら活動を続けています。
店に立っていたころは、料理を食べた人の表情を目の前で見ることができた一方で、メディアを通した発信では相手の反応がなかなか見えないので、「ちゃんと届いているのかな」と思うこともあるといいます。
だからこそ、最近始めた料理教室には、新しい楽しみを感じているのだとか。
「お店をやっていたときが、一番、目の前で感想を聞けました。今はメディアを通じた仕事が多いので、反応が見えにくいのが少し寂しいところ。なので、料理教室で納豆料理を伝えながら、実際の反応を見られたらうれしいですね。娘が大きくなって手がかからなくなったら、またお店もやりたいとずっと思っています」

さまざまな納豆を食べ、料理に使い続けるなかで、大豆そのものへの関心も深まりました。夏見さんが特に違いを感じるのは、納豆に使われる大豆の大きさや産地。
「国産大豆と外国産大豆の納豆では、味がまったく違うんです。大粒は大豆そのものの甘みとうまみを感じやすいので、私は国産の大粒納豆が豆として一番おいしいと感じます。小粒でも、国産大豆は丸く、つるつるすべすべでかわいいんですよ。
ただ、料理に混ぜるときは、スーパーで買える手頃な納豆で十分。ドレッシングにしてミキサーにかけたら、国産か外国産かなんて、味の違いはほとんど分からないと思います。納豆そのものの味を楽しみたいときは国産大豆や大粒を選ぶ。料理に使うときは、手頃なものを選ぶ。そんなふうに使い分けてもらえたら」
よいものを特別な日にだけ味わうのではなく、日常では無理なく続けられるものを。その言葉からは、納豆への愛情と同時に、食べる人の暮らしに寄り添う夏見さんらしさが伝わってきます。
これからは、おいしさに加え、腸活や食べ合わせなど、健康との関係についても学び、伝えていきたいそうです。
「今までは『おいしいから食べてください』とばかり言ってきました。でも、これからは、どういう食べ方が体にどうつながるのかも、きちんと勉強しながら伝えていきたい。料理教室で直接お話ししながら、SNSでも発信していけたらと思っています」

嫌いだったから、嫌いな人の気持ちが分かる。好きなだけでは伝わらなかったから、届く形を考える。そして、店に立てない今も、自分にできる方法で伝え続ける。
夏見さんの歩みを聞いたあとでは、冷蔵庫にある一パックが、少し違って見えてくるかも。まずは、今日の食卓で一品。いつもの納豆に、新しい役割を任せてみませんか。
今回、夏見さんに教えていただいたのは、「なっ豚そぼろ」「にんじんしりしり」「納豆ポテサラ」「本気の納豆茶漬け」の4品です。毎日の食卓で試しやすいレシピから、納豆のまだ知らないおいしさを探してみてください。
(取材・執筆:矢内あや/撮影:柳沢希晶/編集:家本夏子)
夏見 奈央子
納豆料理研究家